2020年4月21日火曜日

オジサンの違和感

居酒屋さん時代は学生アルバイトさんに大変お世話になりました。
なので卒業・入学シーズンにはどうしてもスタッフの入れ替わりはつきもの。
そんなときは求人サイト等々にお世話になるわけですが、
そのときに割とよく目にした「アホやん!」って思った広告コピー

求人募集

「求人」と言ってる段階で人を募っているわけで
このままでは「人集めを募集」っておかしなことになる

なので、めいっぱいこじつけたとして、タ〇ンワークとかイン〇ィードなどの
求人誌の営業マンが広告を集めて回る時に言うのなら筋が通る。

張り紙するなら「求人」だけでOKだし
募集という言葉を使いたいなら「スタッフ募集」「従業員募集」などと書くべき。

(まあ、そんな細かいところに目くじらたてなさんな)

と聞こえてきそうですが、オジサンはその辺が気になる生き物なのです(笑)




さてさて、最近また違和感を覚えてしかたがないフレーズが出回っております。

自粛要請

自粛~[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと
要請~[名](スル)必要だとして、強く願い求めること

自粛って「人から言われる前に自己判断で選択」するもの。
人に強要されたり依頼されたりしたものは自粛と言えないはずです。



このフレーズに違和感を覚えるのはオジサンだから、というより、
せれくとで鍛えられた今の自分だから。
自分で意思決定をすることに向き合って、
その難しさ・しんどさと戦う日々を過ごしているから(進行形)

これまでは自分ではない何者かにしたがった意思決定が多かった私。
分かりやすいところでは、進学するとき。
「高校まではみんな行くから」
「みんな普通科行くから」
「自分の学力なら、そっちの道が一般的だから」
「親や先生もそういう期待をしているっぽいから」
本当はもっといろんな選択肢があるはずなのに
環境の影響をモロに受けて勝手に自分を枠にはめ込んでいた。

そんな根っこを持った自分が「あなたはどうしたいの?」を突き付けられた。
わがまま、でもない。自分の意思。それが主体性。
その「主体性」には自分で決めたという「責任」が必ず伴う。

あ~、なるほど。
いままでの私は「責任」を負いたくなくて逃げてたんだ・・・
「人に決められた」から仕方ないじゃん、っていう言い訳を保険に掛けてたんだ。

せれくとで鍛えられてようやく

主体的に生きる=責任を負う=自分で意思決定する

ということが私の中で繋がったわけです。



「自粛要請」という言葉の違和感は、

要請を受けて「自粛」という行動を選択する側
自ら選択した結果として自粛を「要請」する側

どちらにも責任が含まれていないところにあるんだろうなあ~


以上です

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