せれくとがリモートワークになって以来、私の職場は実家の元・自室。
昭和感満載の2階の6畳間にはエアコンがありません。
梅雨入りしたばかりの大分市ですが、ここ数日は雨が降ったりやんだり。
陽が照ろうもんなら蒸して不快指数高めの環境ができあがり!!です(^^;;;
今と30年前とでは温暖化の影響もあって、暑さも比較にならないでしょうが、
いや~、この部屋でエアコン無しでよくやっていけてたなぁ・・・(笑)
そこを耐えていけてた理由が夏の気温差ってのもあるでしょうが、
もうひとつ大きな差が「根性論」かな~って思うんで、今日はそのネタで♪
はっきり言って転職する以前のは私はわりと「根性論」好きなほうでした(^^;;;
理論とか数値による裏付けとかも大事だけど「最後はハートだよね」みたいな。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか良く口走ってたなぁ。
いちおう補足しますが「心頭滅却、云々」は無我の境地とかの話で、
暑さに耐える「やせ我慢」とは次元が違います。
当時の私がカッコつけで言ってただけです(^^;;
当時の自分が何で「根性論」寄りだったか。
それは、あらゆる局面において
なんでこの結果が得られたかを良く分かっていないし覚えていない
ってことなんじゃないかな。今の自分はそう思うんです。
私は目標を定めてそこに向けて努力する、ということが苦手です。
なんとなく「できそうなこと」「興味を持てそうなこと」を
ふわっと実践して結果に結びつけて、ここまでやってきた気がしてます。
なので、できるようになったプロセスをのちのち検証することができない。
「こうしたら、こういう結果が得られるよ」と一般化して人に提供することもできない。
自営業のひとり親方みたいな仕事ぶりだったから、それでも何とか通用していました。
そこには体系化した「習慣化するまでのプロセス」みたいなものが無いから
「分からないけどやってみる」
「とにかく頑張る」
「やっているうちに分かってくる」
「続けるうちにできるようになる」
「案ずるより生むが易し」
「続けたヤツにしか得られないものがある」
「自分のやり方が見つかる」
「人の真似よりオレ流がカッコイイ」
なんて言葉で、がむしゃらを美化するんです。
今も書いてて「あ~、いいなあ。こういうの好き」って
ちょっと思ってる自分がいることを否定できん(^^;;;
さて、せれくと。
弊社事務所の壁一面には「せれくとの基礎知識」ってのを貼り付けてます。
最初これを見たときは「こわっ・・・」ってドン引きした記憶があります。
「考え方の強制」っていうか「アタマでっかち」な雰囲気というか、
自分流でふわっと生きてた自分にはハードル高めな世界観です。
でも、かつて「水飲むな!」の運動部が運動生理学とかが進歩した結果、
トレーニング法やそれに伴うコーチ法が変化したのと同じ。
やっぱり頭良い人が経験則や理論を「見える化」してくれるってありがたい。
昔は説明できなかったことが、技術や理論の進歩で説明できるんです。
だから、どんなに年齢を重ねても最新情報を拾いに行って
自らをアップデートすること(しようとすること)が、とっても大事。
アップデートすると、それまでの「素晴らしき遠回り」が
まったく「無駄な遠回り」にすら見えるようになるから不思議です。
そして、それこそが自分自身の進歩であり成長なんです。
「どうしたら、その理想の姿に近付けるのか」
検証を繰り返し、体系化し、人も巻き込みながら成長する。
その足跡が壁にベタベタ貼られた「せれくとの基礎知識」です!
そう思えるようになって、あらためて感じるのは、
私くらいのオジサンが「根性論」を振りかざすのは
自分の経験値を体系化できていないことの裏返しでカッコわりぃなあってこと(笑)
聴く人にスーッと染み渡るような理路整然とした情報提供ができるように
なれたらいいなあ、って思う今日この頃です。
2年前から放送中の某「筋肉体操」の番組でトレーナーさんがこう言ったんです。
例えばスクワット20回とかやってて、ラスト1回っていう場面で
ふつう「あと一回、頑張りましょう!」とか「やりきりましょう!」って
発破をかけるところ、そのトレーナーさんは、さも残念そうな淡々とした口調で
「さぁ、あと1回しか、できません・・・」
だって! 思わず吹き出してしちゃった(^^)
こんなところにも「気合い」「忍耐」「根性」などに頼らない
新たな提案の仕方を見つけて楽しんでいます。
さて、今度の休みはエアコン買ってアップデートしようっかな♪
今日はここまで!!
お読みいただきありがとうございました(^^)v