2020年3月30日月曜日

せれくとの新入社員研修&入社式

壮絶

そういう感覚だった。




3月最終週の木・金・土曜日の三日間、せれくとの新入社員研修と入社式が行われた。

それを経験して吉良は

「この先『せれくと』で働いていけるのかな?」と刹那、

気持ちの針が自分の許容限度まで振り切った。





人間社会は、役割を分担し各自が持てる能力(得意なこと)を発揮し貢献して助け合う、という形で組織化をはかってきた。弱小生物だった人間が、マンモスを倒したりクジラを獲ったりができるようになるまでには必須な歴史であり、働くことの源泉だと私は思っている。

やがて組織はどんどん大きく複雑化していき、意思疎通が困難な「隣りの社会」に触れると今度は人間同士でも争うようになっていった。収奪したりされたりの関係は形こそ変遷しているものの今日まで続く。自らの組織が脅かされたとき、しばしば非情な行為が行われる。

たとえば「口減らし」なども、たった100年ほど前の日本でも普通に行われていた。「おしん」ではわずか7歳の女の子が奉公に出された。それでも逞しく生き抜いた。それ自体は尊いことであるが、そうしないと家族が成り立たなかったという現実がある。親の立場からみればこれほど残酷な選択はない。

その「残酷な選択」をしないで済むためにどうしたらいいのか。


私たちは何を目指して生きていくべきか。


そこに人間が積み上げてきた知恵がある。


人間社会が直面する課題は相変わらず山積みである。平和、食料、貧困、教育、ジェンダー、エネルギー、気候・・・、そして、これを書いている現在はCOVID-19との闘い。
その終わりのない闘いは進化の証でもある。

そしてその進化の過程に流れる原則は、ずっと「どうしたら みんなで幸せになっていけるか」であったはずだ。




どうしたらみんなが食っていけるのか

どうしたら隣の社会と争わずにやっていけるのか

どうしたらみんなが納得する制度になるのか

どうしたら受け継がれ文化になっていくのか

どうしたら誰ひとり見捨てずに未来に連れて行けるのか




木元さんは会社をよく宗教に例える。
私は「言いたいことは分かっている」つもりだが、
あえてそこを逆説的に使わせていただく。


せれくとは宗教ではない。
「せれくとの教祖や経典」を盲目的に信じろとは言っていない。
なにかひとつの世界観に洗脳しようともしていない。
そんな唯一無二のものがそもそも存在しない。


むしろ、金銭的優位、地位や名声、世の中が採用している「常識」など、
耳障りの良いものに漫然と流されるのではなく

「自分の責任において自分の軸による意思決定すること」

の大切さをとても丁寧に伝えてくれる。



だから「自分がどう生きていくのか」が問われる。

問われ見つめなおし開示した「いまの自分」に対して「学び、気付き、変化していくことが大切だよ」と仲間が背中を押してくれる。



そして、どう生きていくのかを決める「いまの自分」は進化・変遷して当然である。

なので、せれくとで働くということは「期限付きの約束をすること」だと思っている。

約束が更新できないときは、せれくとを去り次のステージに進むのだ。





まもなく4月を迎える。

高校を卒業したての「あの頃の吉良」はただただ流されて生きていた。
新しく住む街、新しく出逢った仲間たちという「与えられた環境」のもと、
さまざまな経験をし、新たな世界観を獲得していく。

社会に出て自営業として歩みはじめたとき、ようやく自分と向き合い始め、
家族を持ち、独りよがりでは生きられなくなって、
初めて「使命=命の使い方」みたいなことを考えはじめた。

高校卒業から数えて28年。膨大な時間をかけて、ようやくこの視座に立っている。






新入社員の二人は、それをたったの三日間で獲得しようと挑んだのだ。


眩暈がして当然だ。


その視座を獲得したか否かは大した問題じゃない。
挑んだこと自体、その視座の存在を知ったこと自体に意義がある。



時代の流れに身を委ね翻弄されるのか、自分の意思で自らの未来を創造するのか。

その覚悟を迫られる三日間だった。




新入社員研修の準備を進めていた一ヶ月ほど前、但馬さんが私に聞いてきた。
但馬さんも自分と同じく中年を過ぎてからせれくとに参画した中途採用組である。

「新しく入ってくる若い子たちは一気に追い越していきますよ。
 きらっち、それでも大丈夫ですか?」

その言葉の意味を、この新入社員研修と入社式であらためて自分の中で解釈しなおした。



ぜんぜん大丈夫じゃない。

若い2人が今たったスタートラインに、私も「今」立っている。

28年のギャップは取り返せない。




心が震える。

「今まで自分は何をやってきたのか」

その想いは強烈に自分を揺さぶる。



負けそうになる。逃げたくなる。



そんなとき、せれくとの仲間は「過去は最善なんだよ」って言ってくれる。

踏ん張れる。

ひとりでは不安でも、寄り添ってくれる仲間がいるから安心を得られる。

前に進むことができる。




だから、涙が溢れたのだろう。



「感動したー」なんて陳腐な言葉では到底語りつくせない、


壮絶な経験を


またひとつ「せれくと」という仲間からプレゼントされた。




今日からまた「期限付きの約束」がはじまる





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